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2016年4月29日−5月8日

週刊・大型連休


 

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7.7回忌法要を行いました。もう、そんなに時間が流れたのですね。
 
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12.その後、小人数ながら、食事会を行いました。良いお店でした。
※当サイトに書いている内容、掲載している写真を管理人に無断で使用する事を堅く禁じます。



2016年4月29日−5月8日


年:二黒土星(じこくどせい) 丙申(ひのえさる) 五黄殺:北東/暗剣殺:南西/水火殺:なし 歳破:東北東
月:八白土星(はっぱくどせい) 癸巳(みずのと み) 五黄殺:南西/暗剣殺:北東/水火殺:なし 月破:北北西
 
  
 
 
 
    週刊・大型連休
   

 


   5月7日(土)
 
  
     
    
     海の風
 さて、土曜日です。海の風は、三浦に関しては、朝から南西系が、そこそこ入っているように見えます。
 福岡・福間海岸は、微風のようでが、少し、海がうねっているように見えました。



    久留米方面へ
 そして、この日は、久留米方面に移動しました。
 その後、乗り換えて、7回忌法要に行きました。

  
    7回忌
 7回忌法要は、午前11時〜でした。
 だから、この日は土曜日なのに、博多駅から、11時36分に出発する「あそぼーい」の電車を撮影する事も出来ず、
 福間海岸にも行けず・・・です。
 他の日には、住職さんの予定の関係で、出来なかったのだそうです。
 
 しかも、今回、参加予定だった、子供が、熱を出して、急遽、来る人数が、減ってしまいました。
 自分を含めて、3名と言う、淋しい法要になってしまいました。

 ただ、その分、食事会で、じっくり、色々な話が聞けました。
 


     食事会
 
食事会は、久留米に向かう途中にある、ある食事が出来るお店になりました。
 ここ、自分は、全く知りませんでしたが、中々、良いお店でした。

 個室式なので、ゆっくり、話が出来ます。
 堀こたつ式なので、足を伸ばせます。
 足腰が悪くなっている高齢者も、多いので、助かります。

 更に、ガラス張りで、鯉が泳いでいる池も、見えました。

 これは、すごい。こんなすごい店が、このような場所にあるなんて、全く知りませんでした。


    ご先祖様をしのぶ
 食事がある程度、済んで、少し、昔の話をしました。
 7回忌になってしまった故人の昔の想い出話も色々ありましたし、その更に先代の話もありました。

 自分から見ると、「祖父」つまり、おじいちゃんに当たる人。
 実は、自分、この「祖父」の記憶が、薄っすらと、残っているか、残っていないか・・・と言う程度です。

 その「祖父」が、歌人だったのだな・・・と言う記録を、親戚が、持って来てくれました。

 朝日新聞の「朝日歌壇」と言う所に、読者から送られて来た歌(詩)を、斎藤茂吉さんが評価して、掲載すると言うスタイルのようです。

 斎藤茂吉さんのコラムが、色々、残っていたのですが、更に、この「祖父」の投稿した詩が、かなり、頻繁に、
 朝日歌壇に選ばれている事を、知りました。

 更に、斎藤茂吉さんからのハガキも、残っていました。
 ただ、これ、親戚の話によると、「このハガキは、斎藤茂吉さんの、奥さんが、書いているようだ」との事です。
 とは言っても、すごいと思いました。

 そして、最後に出て来たのは、斎藤茂吉さんが、亡くなられた事を知らせる記事の切り取りです。
 やはり、祖父は、ショックだったのでしょうね。



 自分も、この血をひいて、**賞などの文学賞を獲れるような文化人になっているのか?と言うと、全く縁なし。
 がっくり。

 ただ、文章を書く事や、スポーツの試合レポート、NPO法人のイベントのレポートなどの作成は、必死にやっているので、
 そのような事は、好きと言う点では、祖父の血をひいているのかもしれません。

 やはり、法事などでは、このような過去の先祖の話をする事で、ご先祖様、故人も、喜んでくれるのでしょうかね。

 自分は、長生きしたいです。



 
 つづく。
 
12−2.個室形式で、堀こたつ式なので、足の悪い人でも、足を伸ばせます。
 
14.ガラス張りで、池の鯉が見えます。
 
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19.自分から見て、祖父に当たる人、結構、歌人だったみたいです。斎藤茂吉さんから、届いたはがき

20.ハガキの裏面は、このようになっていました。
 
21.斎藤茂吉さんの書いた記事を、祖父は多数保存していたようです。
 
22.尚、日付けは、全て、昭和との事。つまり、27.1.1は昭和27年1月1日。

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34.そして、これが残されていました。斉藤茂吉さんが、亡くなられた記事。ショックだったのでしょう。

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