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2016年12月22日−12月26日

週刊・休日


 

1.早見優さんも撮影。ラッキィ・リップスを歌っている頃。

2.昭和58年(1983年)9月23日、香椎花園(かしいかえん)で撮影。

3.本番直前、自分のカメラが壊れてしまい、急遽、仲間のカメラを借りて何とか撮影

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8.川島なお美さん。やはり、撮っていた記憶は、間違いではなかった・・・

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※当サイトに書いている内容、掲載している写真を管理人に無断で使用する事を堅く禁じます。



2016年12月22日−12月26日


年:二黒土星(じこくどせい) 丙申(ひのえさる) 五黄殺:北東/暗剣殺:南西/水火殺:なし 歳破:東北東
月:一白水星(いっぱくすいせい) 庚子(かのえ ね) 五黄殺:南/暗剣殺:北/水火殺:なし 月破:南
 
 
    週刊・休日


   12月24日(土)

    過去の写真デジタル化
 フィルム写真、ネガから、過去に撮影した写真をデジタルデータ化してみました。

 

   早見優さん
 
 撮影場所:香椎花園(かしいかえん)
 撮影日:昭和58年(1983年)9月23日
 撮影イベント:香椎花園の祝日イベントのひとつだと思われますが、詳細は不明

 この時、早くから行き、良いポジションをキープしたのに、本番開始直前、
 自分のカメラが、三脚から、急に倒れてしまい、シャッターボタン部分が、もぎ取られる形で
 外れてしまいました。
 もう、このカメラでは、撮影出来ない状態になりました。

 しかし、周囲にいた、写真仲間の一人が、自分と同じメーカーのカメラを、予備で持っていました。
 メーカーが同じであれば、望遠レンズのマウントも共用出来て、使えます。
 そこで、仲間から、カメラ本体(ボディ)だけを借りて、本番ギリギリ、間に合う形で、
 撮影する事が出来ました。

 早見優さんは、この2日前の9月21日、第7弾シングル「ラッキィ・リップス」をリリースしたばかりでした。

 ※ラッキィ・リップス
 1983年9月21日発売。
 オリコン最高10位。売上げ枚数 164,380枚。オリコントップ100ランクイン数 13週。
 作詞:三浦徳子 作曲:筒美京平 編曲:大村雅朗

 


   早見優さん/川島なお美さん
 そして、見つけました。
 早見優さんと、川島なお美さんが二人、ゲストに呼ばれているイベント。

 天神の「フタタ」に二人がやって来ました。
 写真の隅っこを見ると、当時、司会進行をしたのは、もしかすると、KBCの富田薫アナウンサーかもしれません。
 (違うかもしれません)


 撮影場所:紳士服のフタタ(天神店)
 撮影日:昭和57年(1982年)9月26日
 撮影イベント:フタタ30周年記念チャリティ・ショー


 早見優さんは、この時点で、まだ、トップ10ヒットを生んでいませんでした。
 第2弾シングル「Love Light」をリリースしており、第3弾シングル「アンサーソングは哀愁」を
 10月19日に発売する前と言う状態です。

 「夏色のナンシー」が誕生するのは、翌年の1983年4月1日になります。

 まだ、ブレイク前の早見優さんでした。

 ※Love Light
 1982年7月21日発売。
 オリコン最高 38位。売上げ枚数 58,600枚
 作詞:三浦徳子(日本語詞) 作曲:ピア・ジャクソン、ジミー・ジャクソン 編曲:荻田光雄

 ※アンサーソングは哀愁
 1982年10月19日発売。
 オリコン最高 29位。売上げ枚数 47,650枚
 作詞:阿久悠  作曲:馬飼野康二 編曲:荻田光雄

 この時は、どちらかと言うと、川島なお美さんの方が、メインと言う雰囲気でした。

 当時の川島なお美さんは、関東圏において、AMラジオ、「文化放送」の深夜放送の
 「ミスDJリクエスト・パレード」の火曜日を担当しており、大人気でした。

 所が、福岡圏に関しては、まず、文化放送の系列局がありませんでした。
 福岡は、当時、AM局として、TBS系列のRKBラジオと、
 テレビ朝日系列ながら、AMラジオ局を持っている「KBC」の2局しか、ありませんでした。
 (現在も、福岡の民放AM局は、この2局体制)

 RKBの深夜ラジオは、キー局のTBSで放送していた「パックイン・ミュージック」を放送。
 KBCの深夜ラジオは、当時も、現在も、ニッポン放送の「オールナイト・ニッポン」を放送。

 つまり、文化放送の「セイ・ヤング」⇒「ミス・DJリクエスト・パレード」は、ネット放送されて
 いませんでした。

 深夜に遠方局を、強引に受信する事に、チャレンジする人も多かったのですが、福岡は、関東局が、
 ほぼ、受信困難。

 理由は、夜になると、韓国語放送、中国語放送の方が、距離的にも、地形的にも、強烈に入って来る為
 関東局の電波は、かき消されて、ほぼ、聴こえないのです。
 逆に、北海道の放送の方が、途中に、海しかないので、受信しやすい時も、ありました。

 と言う事で、当時、川島なお美さんが、福岡に来ても、「ミスDJ人気」と言うのは、ほぼ、なし。
 「ミスDJリクエストパレード」を言う深夜放送で、人気があるようだ・・・程度の認識でした。

 と言っても、当時、現役女子大生でもあり、モデル系の美貌は、全国区の知名度があり、レコードも
 リリースしており、名前は、知られていました。

 当時は、早見優さん目当ての人もいましたが、川島なお美さん目当てで、会場に来た人も、意外に
 多かったと思います。
 こうやって、写真を見てみると、確かに、芸能人のオーラ、出ています。
 きれいだな・・・と思います。

 最後に、握手会があり、会場に集まった皆さんは、お二人と、握手出来ました。

 川島なお美さんは、その後、大女優になり、そして、最後は、残念な事に、2015年9月25日、
 56歳の若さで、病気の為、亡くなってしまいました。


 しかし、自分は、川島なお美さん、写真撮っていた事、何となく、覚えていましたが、ネガを見つけて
 その記憶は、正しかった事を、ここに思い出す事が出来ました。
 生の川島なお美さんを見たのは、この時が、最初で、最後になってしまいました。

 写真を見ると背後に、ご本人のシングル「ラブ・ミー・タイト」のポスターが貼ってあります。

 そこで、調べてみました。
 丁度、この頃、「ラブ・ミー・タイト」を発売していました。


 ※ラブ・ミー・タイト
 1982年8月21日発売の第4弾シングル。
 オリコン最高 80位。売上げ枚数 10550枚。オリコントップ100ランクイン数 4週。
 作詞:島エリナ 作曲:田中真美 編曲:後藤次利


 尚、川島なお美さんのシングルが、オリコントップ100にチャートイン出来たのは、この
 第4弾シングル「ラブ・ミー・タイト」が初です。
 その前3作、「シャンペン No5」「ハネムーン」「愛しのマンドリーノ」は、オリコントップ100に
 チャートイン出来ませんでした。

 その後、「アッシュ・ウェンズデイ」が最高61位、「GEMINI」が最高56位、
 「涙・コパカバーナ」が最高90位。「想い出のビッグ・ウェンズデイ」が最高97位にチャートイン。
 オリコンの実績は、この5作を残しています。





     柏原芳恵さん/森田まゆみさん/岡田有希子さん
 
大物の柏原芳恵さんも、撮っていました。
 外車ショーのゲストに来たのですね。忘れていましたが、ネガを見て、へー、撮っていたんだ・・・と
 思い出しました。

 外車ショーで、「デビュー前の森田まゆみさんを撮った」と言う事だけは、覚えていましたが、
 柏原芳恵さんと、岡田有希子さんを撮っていた事は、全く、覚えていませんでした。



 撮影場所:福岡国際センター
 撮影日:昭和60年(1985年)3月15日〜3月16日
 撮影イベント:外車ショー

 3月15日は、柏原芳恵さんがゲスト。
 3月16日は、森田まゆみさんと、岡田有希子さんが、ゲストだったようです。
 2日に渡って、通って撮影している事、全く、覚えていません。

 当時、ステージのすぐ後ろに、メルセデスベンツ 190Eが展示してありました。
 グレードなどは、全く、わかりませんが、価格が、400万円オーバーだったと思います。

 当然、手が出る価格ではない。
 でも、「将来、頑張れば、メルセデス・ベンツ、買えるのかな?」「買えるようになるといいな」と
 思って、車も、少し、見たのを思い出しました。

 尚、この時に見た「デビュー前」の森田まゆみさん。
 当時、中森明菜さんが所属していた「研音(けんおん)」が送り出すアイドルと言う事で、
 注目されていました。
  中森明菜さんの「妹分」としては、まず、「山本ゆかり」さんがデビュー。
 そして、その次に、「森田まゆみ」さんが、デビューする事になりました。

 本人のデビューまでを追いかけ取材したテレビ番組もあり、話題になりました。
 しかし、歌手活動は、約1年程だったそうです。
 その後は、女優業を中心にしたそうです。

 ※予感
 1985年4月20日発売のデビューシングル。
 オリコン最高 42位。売上げ枚数 23790枚。オリコントップ100ランクイン数 6週。
 作詞:伊藤薫 作曲:伊藤薫 編曲:大村雅朗

 この時の岡田有希子さんの写真、良い写真が残っていませんでした。残念。



   森下恵理さん/奥田圭子さん
 そして、関東圏で撮った写真も、出て来ました。
 関東圏は、人が多く、ちょっとした、アイドルの撮影でも、早い時間から、並ばなければならない。
 こんなに、息苦しい所だとは、思いませんでした。

 そんな中、B級アイドル系は、まだ、ゆったり撮影出来る場所も、ありました。
 関東圏の大学に通っていた、福岡で知り合った写真仲間に、色々、教えてもらいました。
 その友人にも感謝です。
 
 撮影場所:銀座 Lo−Dプラザ(ローディプラザ)
 撮影日:昭和60年(1985年)8月3日
 撮影イベント:文化放送 チャゲ&石川優子さんの番組の中継イベント

 この土曜日午後の番組は、公開放送スタイルで、写真撮影もOKだったので、
 何度か、友人に誘われて、行きました。


 最近、チャゲさん出演のCS放送の番組で、奥田圭子さんの第3弾シングルを紹介していました。
 その情報を見て「えー!!!」と驚き、早速、奥田圭子さんのベスト盤を検索。

 すると、「プレミアム価格」になっているのでした。
 なぜ?奥田圭子さんのベスト盤の価格が、跳ね上がっているのか?
 それは、第3弾シングルに、理由がありました。

 自分は、奥田圭子さんのベスト盤は、持っていませんでしたが、
 東芝EMIが企画した、東芝EMIからデビューしたアイドルの曲を集めた
 オムニバス・アルバムの中に、お宝を発見しました。

 その第3弾シングル、聴いてみて、なるほどーと、納得しました。


 奥田圭子さんオリコンチャートイン実績

 ※夢ください
 1985年2月21日発売。
 オリコン最高 32位。売上げ枚数 66440枚。オリコントップ100ランクイン数 14週。
 作詞:鈴木みのり 作曲:玉置浩二 編曲:奥慶一

 ※瞳の中に
 1985年7月10日発売の第2弾シングル。
 オリコン最高 27位。売上げ枚数 39320枚。オリコントップ100ランクイン数 8週。
 作詞:三浦徳子 作曲:岡本朗 編曲:矢野立美

 ※プラスティック
 1985年10月21日発売の第3弾シングル。
 オリコン最高 39位。売上げ枚数 21100枚。オリコントップ100ランクイン数 6週。
 作詞:秋元康 作曲:氷室京介 編曲:布袋寅泰

 これを見て「うわー!すごい〜!!!」とピンと来る人、多いと思います。

 第3弾シングル、作曲・編曲は、BOOWYのメンバーなのです。
 しかも、作詞は、大先生の秋元康さん。

 リリース当時、何も考えずに聞いてみると、「何だか、アイドルの曲としては、変だな・・・」と
 あまり馴染みませんでした。

 しかし、今、聴き直してみると、サウンドと、メロディラインは、完璧に「BOOWYサウンド」なのです。

 
   BOOWY
 尚、BOOWYが、オリコンシングルチャートに初ランクインしたのは、
 1986年2月1日発売の「わがままジュリエット」から。(オリコン最高39位)

 BOOWYの曲のプロモーション・ビデオが、テレビ神奈川の「ミュージック・トマトJAPAN」で、
 頻繁に流れるようになったのも、「わがままジュリエット」からです。
 自分も、「ミュージック・トマトJAPAN」で、BOOWYを知りました。

 この頃から、ジワジワと認知度を上げて行きました。

 そして、次のシングル、「B・Blue」(オリコン最高7位。売上げ枚数 136810枚)で
 大ブレイクを果たしました。
 B・Blueが発売されたのが、1986年9月29日です。

 つまり、奥田圭子さんの「プラスティック」は、世の中に、「BOOWY」が、ほぼ、認知される前に
 制作され、発売された作品と言う事になります。

 でも、BOOWYが、認知された今、あらためて、「プラスティック」を聴き直してみると、
 完全に、BOOWYサウンドです。

 メロディラインは、氷室京介さん独特の流れ。
 氷室京介さんが、このメロディを口ずさむのをイメージすると、「なるほどー」と思います。

 アレンジも、バリバリの布袋寅泰さんサウンドです。
 恐らく、ギターの部分は、ご本人の演奏ではないかと思います。

 奥田圭子さんのベスト盤が、プレミアム価格になっているのは、この「プラスティック」を
 目当てにしている人が多い為ではないかと思います。


 写真、探してみると、奥田圭子さんの写真、見つかりました。
 当時、バラエティの司会などでも人気のあった、森下恵理さんと一緒に、出ていました。

 撮っていたのか・・・と思うと、奇跡です。




   博多どんたくステージ
  撮影日時がバラバラに前後してしまいますが、その他の写真もデジタル化してみました。
 尚、博多どんたくのRKB本社前と言うのは、当時、渡辺通りにRKBがあった時代の本社の事です。
 現在のRKB本社は、早良区(さわらく)百道浜(ももちはま)に移転しています。


   

つづく。

12−2.

14.柏原芳恵さん。

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20.

21.森田まゆみさん。まだ、この時点で、デビュー前。ド緊張していたようです。

22.デビュー(予定)曲の「予感」を歌っていました。

23.「二人だけのセレモニー」がトップ10ヒットしていた頃の岡田有希子さん。

24.

25
.森下恵理さん。こちらは関東圏で撮影。

26.奥田圭子さん。こちらも、森下恵理さんと同じ場所、同じ日に撮影。

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29.岡田有希子さん。博多どんたくのステージにて。

30.昭和59年(1984年)5月4日、博多どんたく中洲川端舞台で撮影。午後2時30分〜

31.岡田有希子さん。昭和59年(1984年)5月4日、午後4時〜

32.ベスト電器屋上で撮影。先程の中洲川端舞台から、掛け持ちです。

33.荻野目洋子さん。博多どんたく中洲川端舞台。午後5時〜

34.山本ゆかりさん。

35.渡辺圭子さん。昭和59年(1984年)5月3日。博多どんたくRKB本社前

36.辻沢杏子さん。昭和59年(1984年)5月3日、博多どんたくRKB本社前。

37.荻野目洋子さん。昭和59年(1984年)5月3日、RKB本社前。

38.荻野目洋子さん、昭和59年(1984年)4月21日。香椎ダイエー

39.昭和59年(1984年)5月3日、博多どんたくRKB本社前ステージ。

40.尚、RKB本社前と言うのは、当時(渡辺通り)の本社の事。現在のRKB本社は、百道浜(ももちはま)

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