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2025年1月1日−12月31日


 

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※当サイトに書いている内容、掲載している写真を管理人に無断で使用する事を堅く禁じます。



  2025年1月1日−12月31日


   
   9月6日(土)

 

   座席
 博多座に到着。まずは、指定された、チケット売り場に。
 そこで、前日電話予約した時に告げられた「予約番号」を伝えました。
 そして、チケット代を支払い、チケット発行。

 午後3時30分〜の公演でしたが、午後2時30分頃に入場開始。


   お土産屋
 会場内に入れたものの、座席のあるホール内には、入れませんでした。
 そこで、お土産とか、弁当類・パン類などを売っているエリアをグルグルまわり、時間つぶし。

 前川清さんグッズも多数出ており、物色。
 「長崎は、今日も飴だった」と言う、飴入り袋を購入。1個1000円でした。
 これ、前川清ファミリーコンサートに行くと、売っているグッズと言う事は、知っていました。

 記念に購入しました。

 そして、「博多座カレー」を発見。1個600円。
 最初は、通り過ぎようとしたのですが「3個購入で、ミニ色紙に書かれた前川清さんの
 直筆サイン付き」と、書かれていました。

 さらに、「5個購入で、前川清さんの写真付き、写真横に直筆サイン付き」と、
 書かれていました。

 1個600円なら、今の時代、そんなに高くありません。

 大好きは、JALラウンジカレーなどは、1個1000円ですから。

 と言う事で、ミニ色紙も、写真横にサイン入りの、どちらも欲しかったので、8個購入しました。

 午後2時45分頃を過ぎると、座席のあるゾーンへの入場が可能になりました。
 早速、着席。



   ステージ
 午後3時30分〜開演。
 場内には「公演中の写真撮影、録音などは、ご遠慮願います」の案内。

 確か、前川清さんのコンサートは、写真撮影自由と言われていましたが、博多座については、
 1年前の博多座前川清ファミリー劇場を見た人のブログを見つけてみると、
 「前川清さんのステージのタームでは、写真撮影OKになった」と書かれていました。

 だから、「途中、写真撮影OKと言うアナウンスがあるかもしれない」と思い、最初は静かに
 見る事にしました。


   前半
 前半は、「タビ嫌い」と言うテーマで、人気テレビ旅番組「タビ好き」をパロディにした
 お笑いステージです。

 1年前の初回も「タビ嫌い」をテーマに、色々、コントが行われたそうです。
 見て見ると、「タビ好き」のように、色々な所を訪問して、その訪問先で出会った人との
 やり取りと言う流れ。
 1年前のファミリー劇場での「タビ嫌い」から「5年経過した」と言う設定。

 つまり、1年前のファミリー劇場での「タビ嫌い」で出会った人達に
 「5年振りに訪問してみましょう」と言う設定で、ステージが展開されると言う流れでした。

 ステージのセットは、3回転するように組まれていました。

 第一ゾーンでの出会いシーン。食堂を訪問。
 食堂の主人が、前川清さん。メニューの「チラ見せ」などで、時事ネタを挟み込むなどの演出。

 お客さんが、そのギャグに気付かない時は「うちは、メニューと卒業証書は、チラっとしか見せない」などと言って
 気付かなかったお客さんにも伝わるように、言葉を付け加えてました。


 第二ゾーン。アパートのドアのピンポン訪問
 そこから出て来た人は・・・見た目は怖い人。でも職業は、パティシエと言う設定でのやり取り。


 第三ゾーン。相撲部屋訪問。
 相撲部屋に行くと、親方が、丁度、亡くなっていて・・・相撲部屋の横綱役が侑那さん。
 親方が、前川清さんと言う設定。

 亡くなった役の前川清さんが、横になっている。
 チーンと鳴らすと起き上がって、訪問した、えとう窓口さん、紘毅さんと、色々話をして、
 もう一度、チーンと鳴らすと、再度、横になる。

 その繰り返しの中で、色々なコントが展開される。

 「相撲の稽古(けいこ)」と言うキーワードが出ると「ケイコ?圭子?」と言ったり、
 横綱の名前が、侑の藤(ゆきのふじ)。「藤?」と言ったり、
 弟子が15歳から相撲部屋に入り、15・16・17と・・・と言ったり・・・
 わかる人には、わかるギャグを挟んでいたり・・・

 藤圭子(ふじ けいこ)さんと、前川清さんは、結構していた為、
 藤圭子さんにひっかけて、さらに、「圭子の夢は夜ひらく」のヒット曲の一節、
 「15・16・17と・・・私の人生暗かった」の一部を思わせたり・・・

 ドリフのコントとか、萩本欽一さんのコントを見ているような感じでした。


   設定
 第二ゾーンと、第三ゾーンの設定を、今の時代、地上波のテレビで放送しようとすると、
 恐らく、コンプライアンス的に、NGになるか、ならないか、ギリギリの設定だな・・・と思いました。
 今の時代だと、無難に「やらない設定」だろうなと思いました。

 逆を言うと、地上波テレビではなく、お金を払って、舞台を見に来た人達だけのクローズした環境だから
 出来る設定なのだろうと思いました。

 昭和の時代の「電線音頭」や、「ドリフの大爆笑」が人気の頃だったら、
 このような設定、地上波のテレビ番組のゴールデン・タイムでも、問題なく、やっていたと思います。
 今の時代は、難しいだろうなと思いました。
  

   コントの天才かも
 良く考えてみると、前川清さんは、大昔から、ものすごい大物お笑い芸人の人と
 共演しています。

 「欽ちゃんのドーンとやってみよう」が、土曜日夜7時30分から放送されていた時代、
 欽ちゃんと、きちんと、コントやってました。
 ボケも上手い。

 欽ドン「良い子・悪い子・普通の子」(月曜日夜9時〜)の時代の前の「欽ドン」に、良く
 出演されていました。


 その後も、萩本欽一さんと、舞台をやっていたり・・・
 気難しいと思われがちな、超・大物の萩本欽一さんと、今でも、一緒に仕事が出来ると
 言うのは、ものすごい人だと思います。

 萩本欽一さんと言うと、あまりにも大物すぎて、「大将」とも言われてますし
 結構、人を選びそうな雰囲気。
 あの「つかみどころのなさそうな大物」と、一緒に仕事が出来る。
 しかも、お笑いの舞台が出来ると言うのは、すごい人だと思います。

 そして、欽ちゃんとは別に、「ドリフ」の皆さんとも、共演してます。

 志村けんさんとのコントも面白かった。ボケのタイミングが絶妙。

 「8時だよ!全員集合」では、志村けんさん、加藤茶さんと一緒に「ヒゲダンス」のコーナーにも出て
 しっかり、笑いを取っていました。

 そんなすごい人が、前川清さん。
 そうやって見ると、貴重な姿を見せて頂いているのだな・・・と思いました。


   30分休憩
 前半の「ファミリー劇場」は、この展開で終わり。
 時計を見ると、午後4時15分頃でした。

 ここから、30分休憩の案内。会場内には、休憩時間の残り時間が
 カウントダウン式で、表示されていました。これは、わかりやすく、ありがたいと思いました。


   後半・ファミリーコンサート
 後半は、前川清さんを中心にした、歌を中心にしたファミリー・コンサート形式になりました。

 前川清さんは、ソロになった時の持ち歌を中心に披露。
 ソロとして人気の「ひまわり」、そして、坂本龍一さんが作曲した「雪列車」を歌ってくれました。

 その後、紘毅さんのソロコーナー、侑那さんのソロコーナーなどがありました。
 また、人気テレビ番組「タビ好き」のテーマ曲、挿入歌などは、ファミリー全員で歌ったり・・・


   2階で歌う
 その後、サプライズと言う事で、2階で、前川清さんが歌うと言う時間がありました。
 自分は、それを、事前に知っていました。
 紘毅さんのラジオ番組、CROSS FM「紘毅の日曜日は歌好き」と言う番組の中で、
 「2階で、前川清さんが歌いたいと言う事で、博多座の人と調整中」と予告してました。
 やはり、その予告通りになったのだと思いました。

 2階の人は、うれしかっただろうと思います。


   1階
 2階席で、前川清さんが、1曲歌っている間、1階の人には、前川清さんの姿が見えない為、
 1階席には、別サービスが行われました。
 1階席には、侑那さん、紘毅さんが、客席をまわってくれました。

   
   1階中心
 ただ、基本的には、その後、1階中心になりました。
 前川清さんが、1階でも、客席に降りて行ってくれました。
 自分が座っている右側ゾーンには、来てくれませんでしたが、他のエリアに、じっくり時間かけて、
 歌いながら、まわっていました。

 握手ではなく「グータッチ」で、皆さんに対応してました。
 子供がいると、子供とは、一緒に写真を撮ってあげていました。
 親はうれしかったと思います。

 客席をまわる間にも、歌い続けていましたが、その時の歌は、前川清さんのソロ曲ではなく、
 「内山田洋とクール・ファイブ」時代の一連のヒット曲を、次々に、メドレー形式で、歌ってくれました。

 良く、歌詞が飛ばないな・・・と思いました。
 ま、年間、ファミリー・コンサートを何十回もやっているでしょうから、もう、その進行に、
 慣れているのだと思います。


   歌のうまさに大満足
 とにかく、やはり、歌は超・うまい。
 2025年8月で、前川清さんは、77歳になったそうです。
 高い音域も、きちんと出ています。

 おそらく、ほとんどの曲が、「原曲キー」のままだったように思います。
 ただ「そして、神戸」は、「原曲キー」より、キーを下げている事は、わかりました。

 年齢が高くなると、高い音域の声が出なくなります。
 ほとんどの歌手は、年齢が高くなると「原曲キー」から、「キーを下げる」事をします。
 誰が聞いても、あきらかに「かなりキーを下げている」と言うケース、多数あります。

 ご本人は、「タビ好き」で、時々、「あまり声が出なくなった」と言っていますが、
 これだけ、日々、コンサートで歌い続けると、全く歌っていない人より、充分、良い声、
 高い声が出ていると思いました。

 ちなみに、紘毅さん、侑那さんも、歌は、とても上手い。
 親の血を引いていると思いました。



   写真撮影
 写真撮影は、後半の「ファミリー・コンサート」の途中の時間枠から、OKになりました。
 最初、前川清さんが、ソロ曲を3曲歌い終えた後、ファミリーをステージに呼びました。

 ステージ上に出演者全員が登場。
 紘毅さん、前川清さんが「ここから、皆さん、お写真、撮って頂いて、良いですよ。思い出にして下さいね」と
 言う事で、写真撮影OKになりました。

 博多座なので、いつもの「ファミリーコンサートと違い、撮影禁止のまま、終わるのかもしれない・・・」と
 思っていましたが、後半の途中から、撮影OKになりました。

 カメラと望遠レンズを持って行った事が、無駄になりませんでした。
 ここから、思いっきり、写真を撮らせて頂きました。

 やはり、ステージ写真は、照明が綺麗なので、良い色で撮れます。
 でも、逆に、スポットライト的な照明になると、顔が白飛びして、つぶれてしまいます。
 撮影直後に、モニターで、撮った写真の画像をチェックしながら、撮影しました。


   元は取れた
 午後6時05頃、後半終了。これで、幕が下りました。
 アンコールがあるのか?と思いましたが、アンコールは、ありませんでした。

 これ、自分が見た回だけ、なかったのか?全部、なかったのか?わかりません。
 でも、自分は、これで充分でした。
 最初は、3階席の4500円で、安く済ませようと思いました。
 しかし、1階席の自分が座った席は、1階の中では、20列ある中の13列目。後ろの方。
 でも、実際に写真を撮ってみると、全く問題なく、大きいサイズで撮影出来ました。

 それに、ステージは、やはり、1階中心。
 1階には、何度も皆さんが、客席に降りてくれました。
 3階席だったら、小さく、上から見下ろす程度の写真しか、撮れませんでした。
 3階席の2倍のチケット代がかかりましたが、そんなに何度も行く訳ではないので、
 今回、ケチらず、1階席を選んで良かったと思いました。
 9000円の価値、充分、ありました。


   9月13日(土)


   長田鉱泉

 久々に、長田鉱泉まで、水汲みに行きました。
 ここで汲む水は、炭酸が強く、いつまで経過しても、水を入れたペットボトルのフタを開けるたびに、
 シュボッと言う音が出ます。
 水を飲むと、唇が、ピリピリする事もあります。
 ただ、大きなタンクに汲むと、シュボッと言う音は、鳴らない。炭酸のピリピリ感も、弱くなる気がします。
 でも、とにかく、ここで汲む水、お気に入りです。

   江里山彼岸花
 その後、イオンに立ち寄り、ラウンジで休憩。買い物。その後、小城市の江里山に行ってみました。
 ここは、彼岸花の名所。まだ、咲いていないだろうと思って、試しに立ち寄りましたが、意外に、ポツポツながら、
 あちこち、咲いていました。白い彼岸花も1輪、咲いていました。

 まだ、見頃ではありませんが、彼岸花を見られて、大満足でした。
 ちなみに、江里山彼岸花祭りは、9月23日との事。その為、地元の皆さんが、必死に、草刈りしていました。

 その後、ミニ・ストップに立ち寄り、自分は、100円引きクーポンを使って、ソフトクリームを注文。
 同行者は、なめらかプリン・パフェを注文。美味しく頂きました。


   中洲JAZZ2025
 夕方になり、天神方面に出掛けました。9月13日〜14日の夕方から、中洲JAZZ2025が開催される予定でした。

 初日の「貴賓館ステージ」には、PM8:50〜大黒摩季さんが登場するとの事。
 無料で見られます。

 ものすごく人が多いだろうと予測しましたが、一応、行ってみる事にしました。
 PM5:30頃に貴賓館前に行ってみると、既に、前の方は、皆さん座っていました。
 ただ、中間以降の場所は、まだ、空いている。
 でも、3時間以上、ここで、じーっと座っている事が出来ず、ひとまず、中洲の他のステージを見てみる事にしました。

 ステージEの司会が、初日、深町健二郎さん。深町さんのラジオ番組を良く聴いているのと、
 以前、FMミミと言うコニュニティFM放送局が存在していた時代にも、良く、メールを読んで頂くなど、
 お世話になりました。

 久々に、ひとめ見たくて、ステージEの方に行ってみました。
 すると、丁度、オープニングの前説中。

 前説中に、ポツリポツリと雨が落ち始めた為、ステージ上にビニール上の雨除けを設置しはじめました。
 楽器・機材が濡れないように、楽器・機材にも、ビニールカバーをかけ始めました。
 その為、前説が長くなり、中洲JAZZの歴史のような話を、深町さんが、始めました。
 この話が面白く、逆に、自分には、その前説をじっくり聞く事が出来て、楽しめました。

 1組目の演奏が始まり、少し見ました。司会の深町さんが、横にいたので、声掛けしようか?迷いましたが
 他のファンのような人が、ずーっと、話をしていました。
 また、真横で演奏しているので、演奏の音が大きく、ゆっくり話せないと判断し、結局、声掛けせずに、
 その場を離れました。

 再度、貴賓館ステージの方に移動。
 すると、途中から、雨粒が、どんどん大きくなり、そろそろ、傘をささないと、濡れるかも・・・と言う状態に
 なりつつありました。

 一応、貴賓館ステージの「良い場所」の辺りまで行ってみました。
 余裕で、そこそこ、ステージが大きく見える場所は、空いていました。
 でも、その時点で、大黒摩季さんの登場まで、3時間ありました。自分は、とても、待ちきれず、
 その場を離れました。

 雨もどんどん本降りになって行きました。
 そこで、ワンビル(ワン福岡ビルディング)に移動。中古レコード屋があるので、行ってみました。

 中古レコード屋で、色々、中古レコードを物色。
 今の中古レコードの相場を知りたかったので、とても、勉強になりました。

 大ヒットしたシングルなどは、曲によって、価格はバラバラながら、だいたい、220円、440円、550円など。
 でも、大ヒットして、市場にたくさん出回っているシングルなのに、ある1曲だけ、価格が高かったり・・・
 松田聖子さんの場合、多くのヒットシングルは、330円、440円、550円前後。
 でも「青い珊瑚礁」だけ、1700円前後。

 近藤正彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」は、韓国でも人気なので、価格が高いか?と思って見て見ると、
 550円と、比較的、安い価格。

 ヒットしなかった曲は、レア盤で、価格が高いか?と思うと、人気ない曲、売れなかったB級アイドルなどのシングルは
 550円前後。

 シングルで「うわー、高い」と思ったのは、洋楽のシングルが多い。
 洋楽の場合、シングルで買うより、アルバムで買う人が多かった為なのか?洋楽シングルと言うのは
 どうやら、貴重なようです。
 デビッド・ボウイのシングル盤は、全体的に、レア物が多く、どれも、5000円以上でした。

 シティ・ポップで、注目された、松原みきさんの「真夜中のドア」は、当時発売版については、高額でした。
 でも、5000円前後だったと思います。

 しかし、松原みきさんの「真夜中のドア」は、ここの所、シングル・レコード再発売されている物も置いてあり、
 復刻版新品の方が安く、2500円前後でした。

 自分は、あるシングルを探したのですが、残念ながら、なし。
 でも、浅倉亜季さんと言う人のシングルが1枚あったので、550円で1枚購入。
 当時の「ローソンCMソング」と書いてありました。

 買うつもりがなかったのですが、掘り出し物を見つけると、つい、購入。
 丁度良い時間つぶしになりました。


   PM6:50
 ワンビル(ワン福岡ビルディング)の2階、中古レコード屋で、時間をつぶし、外の様子が気になりました。
 出入口に行くと、外は大雨。歩道は、雨がたまり、あちこち、かなり深い水たまりが出来ている場所が、
 あちこちにありました。

 この状況を見て、「もう、今日は、中洲JAZZ2025は見ないで帰ろう」と決断しました。
 大黒摩季さんの登場まで、待てませんでした。

 それに、そこそこの雨を想定した準備をしていたのですが、それを越える大雨でした。
 でも、最後に、「本当に、このまま、中洲JAZZ2025、やり続けているのか?」を確認したくて、
 念のため、貴賓館ステージ前を、ひとめ見て帰る事にしました。


   大雨の中移動
 靴の中が、雨でびしょびしょにならないよう、必死に、水たまりを避けながら移動。
 でも、そこそこ、濡れました。
 やっと、貴賓館ステージ前に到着。
 すると、やはり、大雨の為に、皆さん、立って、傘をさして、ステージを見ていました。
 座ったままだと、お尻が、ビショ濡れになってしまう状態でした。
 そして、かなり前の位置まで、人が減ってました。

 やはり、大黒摩季さんを待てず、帰った方が多かったと言う事だと思います。
 そして、その時間に演奏していたバンドの演奏が、終わりかけた瞬間、
 ステージの後方(南側)に、稲妻が走りました。


   落雷
 全員、「うわー!!!」と、叫び声を出しました。
 その3秒後程「ドッカーン」と、ものすごい雷の音。落雷です。

 この雷については、同じ時間帯、KBCの放送局のAMラジオ生放送のスタジオの中にまで、聞こえたそうです。

 この雷がきっかけになったのか?わかりませんが、「これで、中洲JAZZ2025、初日は中止致します」と
 言うアナウンス。

 これで、正式に、初日は中断=終了になりました。

 これで、大黒摩季さんの出番を待たずに、中洲JAZZ2025の初日は強制終了になりました。
 中止にしてもらった方が、自分も、あきらめがつきますし、多分、「雨と雷の状況では、午後8時50分の出番まで
 継続は、難しいだろう」と、うっすら、思っていました。

 その予感が、的中したと言う事になります。

 と言う事で、ステージ観賞していた人が、ドッと押し寄せる前に、一人、急いで、公共交通機関の乗り場に移動。
 午後7時02分には、公共交通機関に乗っていました。

 そこから、戻りました。

 戻ると、もう、雨は小雨。傘をささなくても、濡れない程度。雷も、なし。
 午後8時50分には、雨も上がっていましたが、あの状況では、中止と言う判断で正しいと思いました。


   9月14日(日)

   田んぼアート

 糸島市二丈にある「田んぼアート」を見に行きました。
 ここの地区、赤米を作っているとの事で、毎年、赤米での田んぼアートをやっています。
 展望台が設置してあり、そこから見る事が出来ました。


   道の駅・松浦
 その後、道の駅・松浦に行きました。アジフライを購入。美味しく頂きました。


   
 午後、イオン穂波店に立ち寄りました。
 丁度、雨が降ったり、やんだりの状況でした。雨が上がった瞬間、虹が出ました。


   趣味活動
 夕方から、久々の趣味活動。楽しめました。


   9月15日(月・祝日)

   野口五郎コンサート

 この日は、福岡サンパレスで午後3時〜開演される「野口五郎さんのコンサート」に行く事にしました。

 大スターの中で、まだ、生で見た事のない芸能人、たくさんいます。
 野口五郎さん、まだ、生で見た事がなかったので、いつかは、見てみたいと思っていました。
 今回、思い切って、行ってみる事にしました。


   応援チケット
 行く事にしたきっかけは「応援チケット」のラジオCMでした。
 通常、S席、A席など、色々な席が売り出されます。
 コンサートの価格は、この時代になると、だいたい、8000円〜11000円などが多い。
 15000円とか、2万円近いチケットも、たくさん、出回っています。

 普段、ラジオCMを聴いていると、色々な大物歌手のコンサートチケット販売中のCMが流れます。
 コンサート開催日が近いのに、何度も、CMを流している場合、「ははーん、チケット、売れ残っているんだな」と
 言うのが、わかります。

 コンサート開催の2日前になっても、CMを流しているケース、多々、あります。

 野口五郎さんの場合も、開催日の数日前まで、まだ、CMが流れていました。
 しかも、そのCM、「応援チケット発売中」のCM。
 「全席3000円でチケット発売中」。このCMを聴いて、コンサート予約WEBサイトを見てみました。

 すると、実際は、「A席5500円の席が、4000円」「その他は、3500円の席が3000円」と
 言う形で、売っていました。

 150席程、残っているようでした。

 野口五郎さん級のコンサートを、3000円〜4000円で見られるのであれば、かなりお得です。
 だから「行く」と言う決断をしました。

 結局、「1000円の差だったら、4000円の席にしよう」と思い、A席4000円を予約。

 購入方法を確認すると、「コンサート当日、入り口で引き換えるので、当日、午後1時〜午後2時30分までに
 来て下さい」との案内。


   当日チケット交換
 そこで、当日、午後1時30分頃、行ってみました。
 チケット代は、その場で、現金払いです。

 「あのー、応援チケット、4000円の方を、1枚予約したものですけど・・・」と言うと、
 「はい、これどうぞ」と、その場に、数枚置いてあった中から、1枚、差し出されました。

 そのチケットを見て見ると・・・・

 「S席 8800円」の券でした。驚きです。
 A席で予約したのですが、実際に、頂けたのは、S席8800円の席でした。

 座席位置は、1階席。26列目の3番でした。
 これ、実際に着席すると、ステージに向かって、26列目の一番左側でした。

 そこそこ、本人の顔も見える場所。
 大満足でした。



   コンサートを見た感想
 本物の野口五郎さんを見るのは、この日が人生初です。
 やはり、感動します。

 1曲目は、「愛の賛歌」。

 ご本人のオリジナル曲ではありませんが、やはり、上手い。
 そして、古希(70歳)が近いのに、ものすごく高いキーまで、出ます。
 高齢になると、高い音の声が出なくなる人が多く、素人が聞いても、「あー、この曲、
 原曲キーより、かなり、キーを下げているな・・・」と、わかる事が多々あります。

 しかし、野口五郎さんに関しては、自分がわかった「ご本人の持ち歌(ヒット曲)」については、
 恐らく、ほぼ、原曲キーのまま、歌っていると思われました。

 ただ、なぜか、鳥肌は、一度も立ちませんでした。
 ここの所、前川清さんのファミリー劇場・ファミリーコンサートで、生歌を聞いたばかりなので、
 「慣れて」しまったのかもしれません。

 ただ、野口五郎さん、MCのトークも、面白い。
 全体的には、この日、福岡サンパレスに来たお客さん、おとなしい感じでした。

 一人、熱烈なファンの方がいて、その方が、色々、声を出してくれるので、それが、逆に、
 盛り上がりを助けてくれた感じです。

 ご本人は、エレキ・ギターも演奏しますが、エレキ・ギターが横に置いてあり、曲によっては、
 そのエレキ・ギターを持って、演奏したり・・・でした。

 バンドも引き連れて来ており、ピアノ、エレキギター、ベースギター、ドラムス、キーボード兼SAX、
 バイオリンの6人編成でした。

 バンドにもこだわっているそうで、一流のミュージシャンを連れてきているとの事。
 音にもこだわっており、「他のアーティストのコンサートをご覧になっている方には、もしかすると、
 わかるかもしれませんが、音については、かなり良い音を出すメンバーを連れてきています」との事。
 確かに、音は、かなり良い音を出していました。

 一つ、「あれ?」と思ったのは「コーラス」が、いなかった事。
 これについては、「コーラスなし」のご本人一人だけの歌声で、全て、このコンサートをやり切れる自信が
 あると言う事だと思います。


   トーク
 トーク内容については、色々。福岡サンパレスが会場なので、ご自身のデビュー曲の話をして下さいました。
 デビュー曲は、演歌「博多みれん」です。
 「博多」ですからね。
 デビュー当時、「博多みれん」なので、博多に長期間滞在していたとの事。

 当時、あるビジネスホテルに泊まっていて、あちこち、キャンペーンにまわったとの事。

 キャバレーなどで歌ったり・・・博多駅のホームに、「博多みれん」と言う旗を持って、歌も歌えず、ずーっと立たされていたり・・・
 当時走っていた市内電車に「博多みれん」と書かれた広告を貼った電車を見た時には、うれしかったそうです。
 博多どんたくのステージにも、立たせてもらったそうです。

 そして、事務所の1年先輩、にしきのあきらさん(大分県出身)とのエピソードも面白かったです。
 当時の野口五郎さん、15歳。でも、18歳と言っていたそうです。

 そして、デビューが1年先輩の、にしきのあきらさんは、19歳。
 1歳違いの事務所の先輩・後輩との事で、可愛がってもらったそうです。
 所が、今は「年齢差8歳」だそうです。

 デビュー当時のファンの声援も、声変わりと共に、キャー音が変わった・・・と言う話も面白かったです。
 デビュー2作目にポップス転向し、大ヒットした「青いリンゴ」のファンのキャー音と、
 3年後のファンのキャー音の効き比べで音を流したり・・・

 沢田研二さんと、トップ・スターショー(TBS、木曜夜9時〜の番組)に出た時、
 沢田研二さんは、ハモリが苦手で「五郎くん、頼むよ」と言われて、難しい方のハモリのパートを
 やった話とか・・・

 昔は音楽番組が、50番組程あって、歌番組には困らなかったそうですが、
 今は、歌番組が、本当に少なくなって、歌をテレビから知る時代ではなく、
 ネットで、個人で見るため、誰もが知っている大ヒット曲が、生まれにくくなっている・・・とか。

 野口五郎さんがデビューした当時、まだ、アイドルと言う呼び方がなかったそうです。
 動いて歌うと、怒られたそうです。

 西城秀樹さん、郷ひろみさんがデビューした頃に、「アイドル」と言う呼び方が出来て、
 ご自身は、新・御三家に入れてもらったが、自分は、この2人より、デビューが3年早かったとの事。・

 アイドルでは、歌を「動かずに歌う事」が求められず、振り付けを付けたり、
 「コール&レスポンス」(きみたち男の子、ゴーゴー)(君が望むなら、ヒデキー)が出てきて、
 歌われ方が、変わって来た事を、実感したのだそうです。

 西城秀樹さんや、郷ひろみさんとのエピソードは、今回、全く、トークの中には、ありませんでした。


 一番盛り上がったのは「青いリンゴ」を歌っている時でした。

 ご自身も若かったですが、観客の皆さんも、当時は、若かった。
 でも、今、あまりにも時間が経ち過ぎた。
 若い頃と同じように、でも、無理しない程度に、皆さん「キャー」と叫んで欲しい。との事で、
 まずは、練習。

 ステージから見て右側のお客さんで「キャー」の練習。
 中央のお客さんで、「キャー」の練習。
 左側のお客さんで「キャー」の練習。
 そうやって、お客さんを、温めた後、「青いリンゴ」を歌い始めました。

 でも、皆さん、恥ずかしがって、中々、「キャー」音が小さい。
 イントロの演奏を、中断し、再度、「キャー、練習したでしょ。練習通り、思いっきり、キャーで
 楽しみましょう」と注意。
 そして、再度、青いリンゴがスタート。

 この1曲に関しては、会場、盛り上がりました。
 かつての「曲の最初から、最後まで、キャー音が途切れない」の状態に近く、会場は、盛り上がりました。


   客層
 ちなみに、この日、会場を埋めていたお客さんの年齢層、恐らく、見た目に、60歳代以上の方が、
 半分以上だったと思います。
 自分は、若い方だったと思いますが、自分より、確実に若い世代も、チラチラ見かけました。

 男女比率は、意外に、半々か、6割女子、4割男性な雰囲気でした。

 野口五郎さんと同世代の方が、「夫婦」で見に来ているような雰囲気の人が、多く見受けられました。

 お客さんの服装も、気軽な格好。
 近所のスーパー、ショッピングモールに買い物に来ている人と、同じような気軽な格好の人が多めでした。


   曲目
 そして、歌った曲目ですが、全部は、覚えていません。
 自分が知っている曲は、半分くらいでした。
 残り半分は、知らない曲。

 自分が良く知っている「野口五郎さんのヒット曲」については、一応、記憶しています。
 ヒット曲なのに、自分が知らなかった曲も、あると思います。

 とにかく、この日、歌ってくれた曲、自分が知っていて、思い出せる曲を、記録しておきます。

 愛の賛歌
 (本人オリジナルではない。色々な人が歌っている。日本語訳詞は、岩谷時子さん。
  フランスのシャンソン歌手 エディット・ピアフの歌)

 むさし野詩人(1977年1月15日発売。オリコン最高2位。売上枚数 341930枚)

 グッドラック(1978年9月1日発売。オリコン最高4位。売上枚数 224590枚)

 沈黙(1977年4月25日発売。オリコン最高5位。売上枚数 192070枚)

 青いリンゴ(1971年8月10日発売。オリコン最高14位。売上枚数 192240枚)

 きらめき(1976年6月10日発売。オリコン最高2位。売上枚数 282750枚)

 甘い生活(1974年10月20日発売。オリコン最高1位。売上枚数 493550枚)

 私鉄沿線(1975年1月20日発売。オリコン最高1位。売上枚数 453000枚)

 哀しみの終るとき(1975年4月21日発売。オリコン最高2位。売上枚数 378850枚)

 序曲・愛(1981年2月5日発売。オリコン最高47位。売上枚数 26990枚)
 →ノー・マイクで歌った2曲の内、1曲は、この曲だったと思います。
  アンコールで歌った曲だったと思います。
  もしかすると、アンコール前の最後の1曲の「ノー・マイク」で歌った曲かもしれません。
  でも、「こころの叫び」が、ノー・マイクで一部歌った国だったと思われる為、
  「序曲・愛」の方が、アンコールで、全てノー・マイクで歌った曲だと思います。


 こころの叫び(1974年2月5日発売。オリコン最高7位。売上枚数 193200枚)
 →最初、この曲を、今回のコンサートで歌ったのか?わかりませんでした。
  帰宅後、あらためて、野口五郎さんのベスト盤を何度も聴き直してみた所、
  この曲のサビの部分、今回のコンサートで聴いた事を思い出しました。
  サビの歌い上げる部分、曲の一部を、ノー・マイクで歌ってくれた曲が、この曲だったと思います。
  この曲、自分は、リアル・タイムでは、全く知りませんでした。


 愛がメラメラ〜SMOOTH〜(サンタナの「SMOOTH」のカバー)
 (2000年4月5日発売。オリコン最高 30位。売上枚数 14800枚)

 All by myself(Eric Karmenのヒット曲)


   フル・コーラスではない
 過去の大ヒット曲については、ほぼ、フル・コーラスではありませんでした。 
 せっかくなので、フル・コーラスで聴きたい気もしましたが、フル・コーラスより、色々な曲を歌って、
 楽しんでもらいたいと言う事かもしれません。
 フル・コーラスばかりだと、聴く方が、飽きてしまうと思ったのかもしれません。



   3部作についてのエピソード
 3部作のエピソードをコンサートの中盤で、話してくれました。
 自分は、3部作の話、知りませんでした。

 野口五郎さんが、オリコン・シングル・チャートで、1位を獲得したのは、この時点で、2曲。
 「甘い生活」と「私鉄沿線」です。

 実は、「甘い生活」を発売する前に、「次は、3部作で行く」と、言われたそうです。
 その3部作を出す時に、「希望」を聞かれたそうです。
 どのような3部作にしたいか?

 一般的には、出逢いから始まる3部作が多かった為、野口五郎さんは、当時のスタッフに
 伝えたそうです。
 「別れ」から始まる3部作にしたい・・・と。

 そこで、3部作の1作目は、別れを題材にした、「甘い生活」になったそうです。
 2作目は、別れた人を思い出す歌と言う事で「私鉄沿線」。
 3作目は、別れた人と、再会すると言う事で「哀しみの終るとき」になったそうです。

 3部作の、1作目、2作目は、オリコン最高1位を獲得。
 そこで、3部作の3作目も、当然、「1位」を取りたかった。
 しかし、結果は、最高2位。
 当時、ものすごく、くやしかったそうです。

 3作目が発売された当時(1975年4月21日発売)、
 何が1位だったのか?を語ってくれました。
 それは、「さくらと一郎」の「昭和枯れすゝき」。

 これを越える事が、出来なかったそうです。

 そこで、「哀しみの終るとき」がリリースされた当時のオリコン1位を確認してみると・・・

 1975年3月31日〜4月21日まで、4週連続1位
 「我が良き友よ/かまやつひろし」

 1975年4月28日〜5月12日まで、3週連続1位。
 「昭和枯れすゝき/さくらと一郎」

 1975年5月19日〜6月16日まで、5週連続1位。
 「シクラメンのかほり/布施明」

 1975年6月23日〜7月21日まで、5週連続1位。
 「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ/ダウンタウン・ブギウギ・バンド」

 と、なっていました。

 1週だけでも、「哀しみの終るとき」が1位になって欲しかった・・・と思います。

 自分は、この3作が「3部作」として、作られた事、全く知りませんでした。


   哀しみの終るとき
 3部作と言われる3曲の中で、3作目の「哀しみの終るとき」、全く知りませんでした。
 そこで、帰宅後、あらためて、ベスト盤CDを聴き直しました。

 すると、3部作の中で、この作品だけ「3拍子」の曲である事に気付きました。


   3拍子
 一般的に、3拍子の曲は、少ない。
 野口五郎さんの場合、演歌としてデビューした「博多みれん(オリコントップ100チャートイン実績なし)」も、
 3拍子でした。

 「哀しみの終るとき」が一般的なポップスと違い、3拍子だった事が、1位を獲得出来なかった理由なのか?と
 色々考えました。

 所が・・・同じ時期に、オリコン1位を獲得していた曲、「さくらと一郎」の「昭和枯れすゝき」も、
 偶然ながら、「3拍子の曲」である事に気付きました。

 3拍子の曲が、同じ時期に、オリコンシングルチャートの1位・2位だった訳です。
 これ、とても、めずらしい事です。

 3拍子だから、1位が獲得出来なかったと言うのは、理由にならない事も、ここで、判明しました。


   3拍子の1位獲得曲
 ただ、3拍子の曲が少ない上に、歴代オリコン・シングル・チャートで1位を獲得した3拍子の曲も
 少ないと言えます。

 そこで、過去のオリコン・シングル・チャートを調べてみました。

 一番古い1位は、1968年6月3日〜7月1日までの5週と、飛んで、8月19日付けで、1位を獲得し、
 合計6週1位を獲得。
 「星影のワルツ/千昌夫」

 これが、オリコンが誕生して、一番古い3拍子の1位獲得曲。
 (オリコンは、1968年1月4日付けが、一番最初のチャート)


 他には、1971年3月1日〜4月12日付けの7週連続1位獲得
 「知床旅情/加藤登紀子」

 1975年4月28日〜5月12日付けの3週連続1位獲得
 「昭和枯れすゝき/さくらと一郎」

  
 オリコン・シングル・チャート1966年1月〜2005年11月末までのデータでは、
 この3曲が、「自分が、曲を知っていて、思い出せる3拍子」の
 オリコン・シングル・チャート1位獲得曲になります。

(2005年12月以降のチャートは、資料を持っておらず、不明)

 2005年以降の曲については、個人的に、シングル・チャート上位曲を聴ける機会が激減し、
 楽曲自体、知らない曲が増えました。チャート資料を持っていても、わかりません。

 3拍子の曲を、持ち歌に持っている歌手は、アルバム曲を含めれば、ある程度、多いと考えられます。
 シングル曲として、3拍子の曲をリリースしている歌手は、1位獲得していない曲を含めても、
 少ないのではないかと思いました。




   深層振動DMVスピーカー
 野口五郎さんの今回のコンサート。新たな取り組みが行われたようです。
 自分は、全く知りませんでした。

 それは「深層振動DMVスピーカー」です。

 ※DMV=Deep Micro Vibrotactile=深層振動


 福岡サンパレスでの公演では、ご本人が、「深層振動DMVスピーカーを、今回、設置して、
 深層振動の低周波音が、この会場内に、流れています」と、説明してくれました。

 この「深層振動DMVスピーカー」とは、何なのか?
 簡単に、説明してくれました。
 その後、自分でも、色々調べてみました。



   人の耳に聴こえない音
 人の耳で聴こえる音、聴こえない音と言うのがあります。
 年齢層などによって、聴こえる音の範囲は、変わりますが、大きく分類すると、
 低音=20ヘルツ以下は、聴こえない。
 高音=20キロヘルツ以上は、聴こえない。

 と「一般的」には、言われています。

 CDに関しては「人間の聴には聞こえない帯域の音(高音域20キロヘルツ以上、低音域20ヘルツ以下)を、
 カットしている」と言われています。

 ただ、高音に関しては、色々な研究の末、20キロヘルツ以上は、
 「人間の耳には聴こえないが、からだで、”感じる”音」と言うのが、あるそうです。

 逆に、低音については・・・
 20ヘルツ以下は、耳では聴こえない。
 20ヘルツ以下は、「耳で聴こえないが、微弱な振動として体に”浴びる”音」と言うのが、あるそうです。
 聴くと言うより「振動として、浴びる」と言う感覚だそうです。

 深層振動DMVスピーカーは、低音域に着目して、研究されたそうです。
 深層振動DMVスピーカーでは、100ヘルツ以下の低音(深層振動)を出しているそうです。

 自然界で採取したサンプルから、独自の技術で、深層振動を精製。
 これを音楽にミックスした「DMV音源」を存分に再生できるスピーカーを開発したとの事。
 聴くだけでなく、聴こえない音を低周波の振動として「浴びる」と言う発想。
 それが、「深層振動・DMVスピーカー」だそうです。

 ※DMV=Deep Micro Vibrotactile=深層振動

 このスピーカーが、人々を健康にすると言う報告が、多数寄せられてきたそうです。

 例えば、「軽度認知障害」又は、「軽度認知症」の高齢者に、
 深層振動=DMVが認知機能に及ぼす影響を明らかにする事を目的として、
 秋田大学医学部倫理委員会の承認を得て、研究を実施したそうです。

 「1ヵ月間、毎日24時間、低周波のDMV刺激を受けながら、
 普段通りの生活を送る」と言う実験で、
 「低下していた初期認知症高齢者の認知機能改善に、有効である可能性が、示唆された」との事。

 DMV刺激を受ける前の記憶力=2.8点
 DMV刺激を受けた後の記憶力=3.75点 と、上がったそうです。

 1点の基準が、何なのか?は、自分が調べた記事では、明記されておらず、その点の意味は、
 不明です。

 ただ、実験前と後で、記憶力は、高くなった(良くなった)と言う数値は、出ているそうです。

 まだ、実験段階との事ですが、音に関して、このような研究まで、やっているとは
 すごいと思いました。


 この深層振動スピーカーが、コンサート会場にも設置され、コンサート時間中、
 ずっと、会場のお客さん達は、この深層振動を「浴びて」いたと言う事になります。
 良い体験が出来ました。


   アンコール
 コンサートは、午後3時丁度に始まりました。
 途中休憩は、全くなし。
 野口五郎さん、椅子はなく、コンサート終了まで、ずっと、立っていました。

 水補給もなかったのですが、途中、トークのコーナーで、「野口五郎グッズ」を紹介するコーナーがあり、
 その中に「GOROマグカップ」がありました。
 そのマグカップの中に「お茶」が入れてあると言う事で、そのお茶を、マグカップの宣伝を兼ねて、
 飲んでいました。飲み物を飲んだのは、その1度だけ。

 そして、公演は、午後5時前まで続きました。
 その後、アンコール1回。2曲程歌ってくれました。


   ノーマイク
 野口五郎さんのコンサート観賞した人からの情報として、昔から、「ノーマイクで歌ってくれた」と言う話を
 聞いた事があります。ラジオのリクエスト番組に、そのような投稿をする方が、80年代からおり、
 「野口五郎さんは、コンサートで、ノーマイクで歌ってくれる事があるんだ」と言う事は、何となく知っていました。

 今回も、アンコール前の1〜2曲。曲の一部で、マイクを外して、ノーマイクで、歌ってくれました。
 その後、アンコールでは、2曲の内、丸々1曲、ノーマイクで、歌ってくれました。

 本当に、すごい声量。
 やはり、ものすごく偉大な歌手なのだと思いました。

 1曲は、ご本人の持ち歌「序曲・愛」。
 もう1曲は、ご本人の持ち歌「こころの叫び」だと思われます。

 あと1曲も、軽く、一部だけ、ノー・マイクで歌った気もしますが、曲の変わり目がわからない
 演出の部分もあり、その点は、良くわかりませんでした。
 少なくとも、2曲は、ノー・マイクで歌ってくれました。


 もう少し、70年代、80年代の大ヒット曲を歌って欲しいと思いました。

 でも、55年間、コンサートを繰り返されている野口五郎さん。
 
 ご本人からすると、80年代までのヒット曲は、歌い飽きる程、何千回と歌って来たのだと思います。

 自分は、野口五郎さんがデビューして、55年目にして、初めて、コンサートを見たのだから、コンサート初心者。
 今回、歌ってくれた1970〜80年代の大ヒット曲を、10曲聴けただけでも、大感謝です。
 しかも、今回、応援チケット4000円で見ましたから、これ以上の贅沢は、言えません。

 午後5時15分頃、アンコールも終了しました。


 野口五郎さん、ありがとうございます。
 感動しました。そして、楽しかったです。
 深層振動DMVスピーカーも、機会があれば、入手できる時が来るといいな・・・と思いました。



   グー・タッチ会
 会場では、野口五郎さんのグッズ、CD類販売、2025年11月リリース予定のアナログ盤LPの
 予約会などが行われていました。

 5000円以上購入した方は、コンサート終了後、野口五郎さんご本人と、グー・タッチ会に参加できるとの事でした。
 グッズ・CD売り場は、コンサート開始前、かなり混雑していましたが、コンサート会場への入場が始まる事には、
 かなり、ゆったり見る事が出来ました。

 しかし、大変申し訳ありませんが、欲しい物がなく、何も買いませんでした。
 野口五郎さんのCD、かなり持っているからです。
 それに、最近は、握手会ではありません。

 感染症が、落ち着いていない事もあるからなのか、どこの会場でも、握手ではなく、「グー・タッチ」か、
 「ハイ・タッチ会(ハイ・タッチ=和製英語。公式には、ハイ・ファイブと言います。韓国の人も、ハイ・タッチとは
 言わず、ハイ・ファイブと言います)」などに移行しています。

 自分は、グー・タッチだけのために、5000円分のグッズを購入するのは、意味がないと思い、何も買いませんでした。
 せめて、ツーショット撮影会とか、サイン付きなら、少し、考えました。


  

   野口五郎さんの特許
 野口五郎さん、コンサートが終わった後も、楽しめるコンテンツを開発しました。
 それは「特許」を取得しています。

 特許番号は、特許第6091357号。
 本名の「佐藤靖(さとうやすし)」さんの名前で出願し、特許公報が発行されています。

 発明の名称は
 「コンテンツ配信システム、コンテンツ配信方法、コンテンツ配信装置、
 コンテンツ視聴装置およびコンピュータープログラム」です。


   DMV(デジタル・ミュージック・ビデオ)カード
 福岡サンパレスでのコンサートの模様、この特許を使った「DMVカード」を購入する事で、
 コンサート終了後も、見られるとの事。

 DMVカードを、コンサート会場で、販売していました。

 野口五郎さんの公式WEBサイトでも、売っています。

 価格を見てみると、ファンクラブ通販会員価格、3200円。
 非会員価格、3400円だそうです。
 ちょっと、高いかな・・・

 DMVカードを使って、コンサートを見るためには、アプリのダウンロードが必要。

 深層振動DMVと、DMVカードの3文字の略が、同じなのは、わかりにくいです。


   帰り
 行きは、博多駅からバス。ガラガラでした。
 この日、マリンメッセでは、同じ午後3時〜LDHのコンサート(2日公演の2日目)と、ぶつかりました。

 マリンメッセに行く人も大量にいました。

 帰りが同じ時間になると、帰りのバス、かなり混雑するだろうと思いました。
 所が、サンパレスを出てみると、まだ、マリンメッセの方は、終わっていない雰囲気でした。
 コンサート開始前に、事前に調べておいた「帰りのバスの時刻表」を確認。

 午後5時24分に、博多駅行きのバスが来る事になっていました。
 サンパレスを出て、信号に引っ掛かりましたが、その時間が、午後5時23分。
 信号が青になって、渡り始めると、午後5時24分、博多駅方面行きのバスが来ました。
 これに乗りました。しかも、バスは、ガラガラで、誰も乗っていませんでした。
 マリンメッセの方のLDH系のコンサートは、まだ、終わっていないと言う事です。
 博多駅まで、ゆったり座って移動出来ました。良かったです。


   9月20日(土)

   江里彼岸花

 途中、イオンに立ち寄り、ラウンジで休憩。
 その後、江里山彼岸花を見に行きました。
 9月13日に来た時より、開花が進んでいました。

   イオン買い物
 あるイオンに立ち寄り、買い物。
 この日は、3000円以上購入すると、300円引きクーポンが当たりました。
 また、20日は、5%OFFの日。
 そんな事情もあり、あるイオンで買い物。
 ラウンジのあるイオンでは、3000円買うと300円引きのクーポンがなかった為、違うイオンに立ち寄りました。


   ダニエル・イノウエ ミュージアム
 八女市上陽町の「ダニエル・イノウエ ミュージアム」に行ってみました。
 以前、ここは、単なる、地元の直売所、兼、簡単な食事が出来る施設でしたが、ここにミュージアムを作ったようです。
 ダニエル・イノウエさんとは、ハワイに絶大なる貢献をした人だそうです。

 その祖父・浅吉、祖母・モヨが、長男・兵太郎を伴い、出稼ぎの為、八女市上陽町上横山から、
 出稼ぎの為、アメリカ合衆国ハワイへ移住。

 1924年9月7日、ダニエルは、兵太郎と、日経人カメの長男として、ホノルルにて出生。

 その後、太平洋戦争が勃発し、日経人部隊「第442連隊戦闘団」に配属され、イタリア戦線で、右腕を失うが、
 その戦果により、数々の勲章を受章。英雄と讃えられた。

 その後、ハワイ州から、連邦上院議員に初当選。
 勲一等旭日大紋章受賞。
 米国大統領から、軍人に贈られる最高位の名誉勲章を受章。
 などなど。

 2012年12月17日、88歳で永眠。

 との事。

 ミュージアムは、無料で見られました。
 こんなすごい人のルーツが、八女市上陽町にあるとは、知りませんでした。


   星野村・鹿里(ろくり)棚田展望所
 上陽町から、そのまま山道を進むと、星野村の鹿里(ろくり)の彼岸花展望所があります。
 まだ、あまり咲いていないと思って行ってみると、やはり、まだ、咲き始めでした。


   黒木町・ヨシビ棚田の彼岸花
 その後、黒木町に移動。ヨシビ棚田の彼岸花を見に行ってみました。
 ここも、まだ、見頃の2歩手前と言う感じ。でも、そこそこ、咲いていました。
 彼岸花も、あちこち、咲き始めました。


   9月21日(日)

   イオン

 この日もイオンに買い物に。理由は、この日の朝、ガチャクーポンで、1000円当たったから。
 専門店だけで使えるガチャクーポン。
 1000円当たる事は、中々ないので、ある「本」を1冊買う事にしました。
 1600円の本を買いましたが、1000円分は、ガチャクーポンで支払えたので、とても得した気分になりました。


   ナフコ
 ナフコも、この日は、ポイント5倍キャンペーンの日。
 ちょっとした小物を買う用事があった為、ポイント5倍の日を狙って、購入しました。


   趣味活動
 この日は趣味活動の日。行ってみると、何と、1得点できました。
 とてもうれしかったです。


   9月23日(火・祝日)

   墓参り

 お彼岸の日。ご先祖様の墓参りに行きました。


   八女灯篭祭り
 その足で、八女福島の灯篭祭りを見に行きました。
 灯篭人形のステージを見るのが、目的。

 この日は最終日。
 初日などは、混雑すると思い、墓参りの予定もあったので、最終日の23日の
 ステージを見る事にしました。

 駐車場、満車か?と思って、会場から一番近い駐車場に、ダメ元で行ってみると・・・
 ガラガラでした。無料です。余裕で駐車出来ました。


   灯篭人形
 灯篭人形のステージは、午後1時30分からを見る事にしました。
 偶然、八女市長と、福岡県知事の服部知事がやってきて、挨拶。

 どちらも、本物を見るのは、初めてでした。得した気分でした。

 そして、ステージ観賞。
 2025年は名島の舞台。これが、一番、面白くない。
 キツネに化けないし、階段上りもない。最後に、キツネが飛びだす仕掛けもない。

 この日は最終日だったからなのか、ど真ん中の良い位置の一番前で見る事が出来ました。
 でも、あまりにも暑かった・・・・
 疲れました。
 でも、2025年の灯篭人形、見る事が出来ました。


   ミニ・ストップ
 この期間、ミニ・ストップのソフトクリームが、100円引きクーポンを発行しており、
 100円引きで、2回購入。

 なめらかプリンパフェは、30円引きクーポンがあり、それを使って1回購入。
 割引クーポンは、ありませんでしたが、まだ、白桃パフェを購入出来る店舗があり、
 白桃パフェを1回購入。

 美味しく頂きました。
 ミニ・ストップのソフト・クリーム、パフェ類、本当に美味しいです。


   宇佐美キャンペーン
 9月23日までが、マイメロディと、クロミちゃんのウサッピーコラボ人形が、
 当たるかもしれないキャンペーンでした。

 既に、多くの宇佐美給油所が「抽選券は、もう、品切れで配布終了しました」の店舗ばかり。
 そんな中、まだ「品切れ」表示していない宇佐美給油所に行ってみました。
 すると・・・「もう、品切れになってしまいました」との事。ガックリ。

 でも、ある数店舗が、まだ、品切れ表示ではない。
 抽選券をもらうには、「10L以上給油の時に発行される交換券」を2枚集める必要があります。
 これだけではダメで、宇佐美のアプリから、1週間に1度ペースで発行される、
 「抽選用アプリスタンプ」が、必要。

 つまり、10L給油を2回やっただけでは、ダメ。
 どのユーザーも、それに加え「1週間に1度発行される、宇佐美アプリスタンプ」が、ないと、抽選券に
 交換出来ません。

 この週末、土・日用に1スタンプ発行されました。
 さらに、追い込みで、23日にも、最終スタンプが、特別発行されました。

 10L給油で発行される交換券は、この時点で、4枚保有しており、スタンプ2回分、使えました。
 無事、違う2店舗で、抽選券を受け取る事が出来ました。

 その内、1枚は、マイメロディ+ウサッピーコラボ人形、当選出来ました。
 やっと、1枚あたった・・・と言う感じでした。
 クロミちゃんの方は、残念ながら、当たりませんでした。





 つづく

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24.迷った末、結局、1買いM列53番(前から13列目)の9000円席を選択

25.前川清ファミリーコンサートに行くと、会場で売っている飴

26.長崎は今日も飴だった。袋付きで1000円。飴は、三重県が製造元

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29.久々に、長田鉱泉まで、水汲みに行きました

30.江里山の彼岸花を確認に行きました

31.江里山彼岸花、ちらほら咲き始めていました

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35.中洲JAZZ2025を見に行きましたが・・・

36.Eステージ初日司会の深町健二郎さん

37.9月14日(日)、糸島市二丈の田んぼアートを見に行きました

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43.道の駅・松浦で、アジフライを購入

44.踏切で、引っかかり、MR松浦線の電車を見る事が出来ました

45.イオン穂波店駐車場で、虹を見る事が出来ました

46.9月15日(月・祝)。福岡サンパレスで、野口五郎さんのコンサート観賞。大満足

47.9月20日(土)。江里山彼岸花、見に行きました

48.前回より、開花が進んでいました

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51.白い彼岸花も一部、咲いていました

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53.八女市上陽町のダニエル・健・イノウエ ミュージアムを見学

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55.星野村の鹿里(ろくり)の彼岸花

56.まだ、ポツリポツリとしか咲いていませんでした

57.八女市黒木町、ヨシビの棚田の彼岸花。咲き始めていました

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59.9月23日(火・祝日)。ご先祖様のお墓参りに行きました

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61.八女福島の灯篭祭りに行きました。八女市長が挨拶。

62.偶然、福岡県知事の服部知事が来ており、挨拶

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65.灯篭人形始まりました。2025年は、名島編

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70.衣装、早替えの瞬間です

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73.後方の絵も、ほぼ同時に変わりました

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78.八女福島八幡宮。宮司が若い世代に変わって、大きく変化しました。
御朱印も数種類あり、行列が出来ていました。
以前は、ボロボロで、人も寄り付かない状態でした。
今は、お祭り以外の時も、日々、人の往来があるように、変わりました。
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