[PR]

2016年9月20日−9月25日

週刊・八女


 

1.おはよー
 
2.朝の2度寝が日課

3.この日お世話になった親戚のシエンタ。車椅子が載れられる福祉車両仕様。

4.6月登録の新車なのに、いきなり、全輪左側のホィールキャップを紛失。どこかで、こすったようです。

5.ご先祖様に、ご挨拶。
 
6.

7.その後、自分の先代の先代のルーツがあると言う場所に移動。

8.

9.このような場所に、縁があったとは、意外です。
 
10.大昔はこの建物の手前の右側に小屋があって、そこに、先代の先代が暮らしていたそうです。へー。

11.

12.
※当サイトに書いている内容、掲載している写真を管理人に無断で使用する事を堅く禁じます。



2016年9月20日−9月25日


年:二黒土星(じこくどせい) 丙申(ひのえさる) 五黄殺:北東/暗剣殺:南西/水火殺:なし 歳破:東北東
月:四緑木星(しろくもくせい) 丁酉(ひのと とり) 五黄殺:北西/暗剣殺:南東/水火殺:北 月破:東

 
 
 
 
    週刊・八女



   9月23日(金)

    八女(やめ)へ

  さて、この日は、朝から、八女市に向かう予定になっていました。
 父親の妹さんにあたる親戚の方と、一緒に、1日、八女市を巡る事になっていました。
 駅のロータリーで、待ち合わせしました。


   ボロボロの新車
 すると・・・新型「シエンタ」で登場。6月登録の新車でした。
 ハイブリッドではなく、1500ccの通常ガソリンエンジン車です。
 ただし、福祉車両です。(車椅子が乗せられる仕様)

 所が、いきなり、助手席側の前輪のホィールキャップが、外れていました。
 そして、左サイドの後方が、スレています。いきなり、こすったようです。
 話を聞いてみると、前日、移動中に、いつの間にか、ホィールキャップが、外れていた・・・との事。
 こすったのが、どこなのか?さえ、自覚症状がない・・・うーん・・・

 親戚の父の妹さん、昭和の時代には、とてもめずらしい「女性ドライバー」でした。
 自分の子供の頃の薄い記憶をたどると、自分の記憶に残っているのは、
 トヨタのパブリカに乗っていたのを覚えています。
 その後、スバル・レオーネに数台乗り継ぎました。

 レオーネにした理由は、当時、冬場になると凍結する、山あいの場所に通う必要があり、
 どうしても、FF車(前輪駆動車)が必要になった事。
 当時は、まだ、大衆車でも、FR(後輪駆動)が基本でした。
 FF(前輪駆動)を採用していたのは、当時、ホンダと、スバル位でした。
 乗用車には、まだ、4WDと言う車種が、なかったのだと思います。
 (又は、4WDになると、価格が高額になるので、手が出なかったのかもしれませんが、詳細は不明)

 しかも、トランクルームが大きく、車内も大きいセダンなどをラインナップしているのは、
 スバル・レオーネ位だったので、選んでました。
 まだ、ホンダは、シビックしかラインナップしておらず、FFのアコードが登場する前の時代。
 だから、この親戚は、当時としては、九州で、凍結道路を考慮した車選びをするのは
 めずらしかったと思いますが、レオーネを選んだのでした。

 この時代は、当然、マニュアル・トランス・ミッションの車。
 パワー・ステアリングも付いていない時代です。
 前輪駆動で、更に、パワーステアリングが、付いていない車両で、良く、女性ドライバーが、
 このような車を、普段から、運転していたな・・・と思います。
 
 この親戚とは、その後、そこから、全く合わない時間が、20年以上流れたと思います。

 そして、父親が亡くなった時に、再会し、その時は初代シエンタ、その後、ラクティス。
 そして、今回、新型シエンタになっていました。
 全て、車椅子が乗せられる、福祉車両を購入しています。

 と言う事で、実は、基山サービスエリアで、運転交代。
 自分が、途中から、運転しました。
 昔から、思っていましたが、実は、横に乗っていて、とても怖いのです。
 本人も、「運転してもらった方が、疲れないし、楽だ・・・」と、言ってました。

 と言う事で、八女に移動開始です。


   ルーツ
  最初に行った所は、「光」と言う地名のエリアです。
 ここには、自分から見ると、ひいおじいちゃんのルーツがあるのだそうです。
 へー、全然知りませんでした。
 良く考えたら、自分の先代をたどると、「祖父・祖母」までは、自分でも記憶がありますが
 更に、先代になると、名家の家系でもないので、ほとんど、情報がありません。

 明治時代の自分のご先祖様の情報と言うのは、もう、自分の親世代の生き残りも、かなり少なく
 なっている為、中々、当時の事を語ってくれる人がいないのです。
 当然、江戸時代の自分の先祖が、どうだったのか?と言うのは、全く、情報がありません。

 この父の妹さんは、父親方の家系の末っ子の生き残り組。
 9人兄弟で、生き残りは、2人だけです。

 だから、この父親の妹さんが、自分の親の歴史、さらに、先代の歴史を、地元で読まれている本などに
 投稿して、残しているのです。

 もともと、先代(自分から見ると、父親方の祖父)は、短歌などが好きだったそうで、
 斉藤茂吉さんにも評価をされていたのだそうです。
 その短歌も、いくつか、残されており、この父親の妹さんは、その短歌集を出版する準備なども
 やっているとの事でした。

 自分も、一時期、新聞の読者投稿欄に熱心に投稿している時期があり、北海道新聞に、常連のように
 掲載されていましたが、今は、その投稿も、やらなくなりました。

 自分が知らなかった、ひいおじいちゃん世代のルーツの場所に、連れて行ってもらいました。
 こんな所に、縁があるなんて、全く知りませんでした。


    八女市内へ
 その後、昼食。
 昼食の写真は、撮りそびれて、ありません。
 その後、八女市内に移動。
 この日から3日間、「灯篭人形」のお祭りが開催されるのでした。

 父の妹さん、元・福岡県庁勤務で、八女市の貴重な古い街並みを、保存しようと
 いうことで、配属の関係で、色々と、昔、活動していた時期もあったそうです。

 その縁もあり、八女の灯篭人形の舞台裏を見せてもらいたいと言う話をして、
 今回、その舞台裏を見せてもらう事になっていました。

 一般の方は、たとえば、パックツアーとか、八女市がこのお祭りの時に参加者を募集する
 市内観光ツアーなどに加わると、舞台裏を見る事が出来ます。

 今回は、これらのツアーに参加していなくても、スポット参加で、舞台裏を見せてもらえる事になっていました。
 実は、父親の家系は、この「灯篭人形」が、戦時中に、数回、開催されない年があったそうですが、
 その時、代わりに、劇団の舞台が公演され、その劇団とは、父親の家族が運営している劇団だったのだそうです。
 一応、この「灯篭人形」の歴史に、無関係ではないとの事です。


   ステージ
 尚、人形を操るステージに関しては、演目が、4年に1度、巡回します。
 実は、今回の演目が、一番、華が少ないステージです。
 人形が、キツネに化ける事もなく、キツネが最後に、飛び出す事もなく、
 比較的、シンプルな構成なのが、この年のステージです。

 自分は、4年分、ひと通り、全ての演目を見たので、今回の演目が、一番、地味な演目である事を
 知っていましたが、それでも、舞台裏を見られると言う楽しみがあったので、行く事にしたのでした。

 所が、今回見たステージ、3日間のお祭り期間中の、一番最初のステージだったのですが・・・
 あまりにも、失敗・トラブル続きのステージを見る事になってしまいました。

 まず、人形の橋渡しと言うのが、「すごい」といわれている見世物のひとつ。
 所が、ステージが始まって、かなり長時間経過しても、右側から橋が出て来て、
 人形が、踊っているのに、左側の橋が、全然、出て来ませんでした。

 出て来たのは、一番下の人形と、右側の橋の上の人形だけ。
 かなり長時間、演奏を伸ばして、いろいろ必死にやっている事は、何度もステージを
 見ている自分には、充分、わかりました。

 そして、3分の1程の時間が経過して、やっと、左側から橋が出て来ました。
 しかし、人形の橋渡しは、何とか、やって見せたものの、その後、人形が、あまり出て来ませんでした。

 左側の人形に至っては、少し、踊ったものの、すぐ、引っ込む状態です。

 初めてみる人は、これでも、「すごい」と思ったのかもしれませんが、この初回公演に関しては
 知っている人が見ると「完全に失敗ステージ」で、裏で、バタバタしているだろうと言う事が、
 予測出来ました。

 逆に、ここまでひどい失敗ステージを見る事は、ないと思うので、反対の意味でのプレミアム・ステージ。
 貴重な経験になったかもしれません。


 つづく。
 
12−2.

14.藤棚があります。

15.八十八のお坊さんが置いてあります。四国の八十八ヵ所巡らなくても良いのです

16.

17.実は、かなり蚊がいて、刺されまくり。かゆい。

18.

19.

20.
 
21.

22.八女市役所前のうどん屋。ここのお店、有名だそうです。

23.さて、八女の昔の街並みが残るエリアに移動。お祭りの中心地です。

24.

25
.そして、八女福島灯篭人形のステージを見学します。

26.初日、第一回目のステージが、始まりました。

27.

28.

29.これまでと、衣装が、少し変わった気がします。

30.

31.

32.

33.

34.

35.しかし、中々、橋が出て来ません。

36.右側からの橋は、出て来ましたが、左側からの橋が、全く出て来ませんでした。

37.

38.

39.やっと、橋が出て来ました。そして、人形も、右側から左側に渡りましたが・・・

40.本当は、左側から、別の人形が出て来るのですが、全く出て来ません。

BACK
NEXT
MENU