[PR]

2017年4月1日−4月30日

#ベストカー・アンバサダー


 

1.

2.

3.

4.

5.

6.


7.

8.

9.丸目時代のジェミニ。展示車両と違い、バンパーの中に方向指示器表示が付いた型。

10.角目ライトになったジェミニ。ジェミニも少しづつ、進化して行きました。

11.

12.
※当サイトに書いている内容、掲載している写真を管理人に無断で使用する事を堅く禁じます。



2017年4月1日−4月30日


年:一白水星(いっぱくすいせい) 丁酉(ひのととり) 五黄殺:南/暗剣殺:北/水火殺:なし 歳破:東
月:六白金星(ろっぱくきんせい) 甲辰(きのえ たつ) 五黄殺:南東/暗剣殺:北西/水火殺:南 月破:西北西
 
 
    #ベストカー・アンバサダー


 

   4月22日(土)
  


   いすゞプラザ
 「いすゞプラザ」を見学してみました。


   2階・過去の実車展示
 
   ジェミニ
 ジェミニは、初代が、何度もマイナー・チェンジを繰り返し、最終的には、1974年〜1987年まで、
 製造されたそうです。
 そして、世界のあちこちで製造されました。
 
 正確に言うと、展示車両を中心とした「初代・前期型」と、後期型では、かなり、デザインも変わっています。
 

 「街の遊撃手」のキャッチ・フレーズと共に、CMが印象的だったジェミニは、この展示車両のジェミニではなく、
 次の世代の2世代目ジェミニ。
 2世代目ジェミニから、FF(前輪駆動)になりました。
 「イルムシャー」とか、「ハンドリング・バイ・ロータス」などの仕様が追加されるなど、バリエーションも
 かなり広がりました。
 独特のオートマチックシステム「NAVi5(ナビ・ファイヴ)」も途中から、一部グレードに採用されました。
 1985年〜1990年まで、製造されました。


 3世代目までは、自社開発。
 3世代目で有名なのは、「ニシボリック・サスペンション」の存在。
 発売当初は、生産が間に合わない位、順調な販売台数を記録したものの、バブルの終焉と重なった事もあり、
 この3代目ジェミニでは、急激な販売不振に陥ってしまったとの事。
 そして、いすゞは、「乗用車生産からの撤退」を発表。
 この3代目ジェミニは、1990年〜1993年と言う短命で、発売を終了したそうです。

 
 4代目ジェミニは、ホンダの「ドマーニ」をOEM販売。(1993年〜1997年)
 5代目ジェミニは、フルモデルチェンジした、ホンダの「ドマーニ」をOEM販売。(1997年〜2000年)

 しかし、ホンダのシビックのモデルチェンジに伴い、ドマーニが廃止され、それに伴い、ジェミニ・ブランドも
 絶版となったそうです。



   117クーペ
 そして、最後のゾーンに、117クーペが展示してありました。
 しかも、展示車両は、「ハンドメイド117」とも言われた、貴重な初期型。(1968年〜1971年)
 この初期型は、ハンドメイドの部分が多かった事もあり、3年間で、2458台しか、製造されなかったそうです。
 価格も、当時としては、高額の172万円だったそうです。

 1970年前後での172万円と言うのは、思いっきり高額だと思います。
 

   サスペンション
 サスペンションは、当時のいすゞの乗用車「フローリアン(ジェミニより1クラス上の乗用車)」と共通だそうで、
 フロントが、コイルスプリング+ダブルウィッシュボーン、リヤが、リーフスプリング+リジッドとの事。
 目視してみると、後輪のサスペンション部分、「板バネ」になっています。

 ベレルの所でも説明しましたが、
 リーフ式サスペンション=板バネ式の事です。

 板バネ式サスペンションは、本来、貨物車両などに採用され、乗用車系には、現在では、採用する車種が、
 ほとんど、ありません。
 理由は、バネの振れ幅分しか、上下動の振動の吸収が出来ず、乗り心地が悪いため。
 また、上下動の振動の吸収は、それなりに出来たとしても、ロール時(左右に大きく揺れる時)に、
 左右の大きな振動差の吸収が、それほど出来ず、操縦安定性に劣ります。


 見た目に高性能なスポーツカーに見える車のリヤ・サスペンションが、板バネと言うのは、意外でした。 
 尚、ウィンド・サーファーなどに大人気の「ハイエース(レジアスエース含む)」は、現在でも
 「板バネ式」です。
 ハイエースは、基本的に、貨物車両なので、それは、当然でしょう。




   格上の車種
 当時のいすゞとしては、「ベレット」と言うクーペより、格上のイメージリーダーカーが欲しく、
 この車種を開発し、発売したそうです。
 確かに、とても美しいデザイン。
 今、見ても、良いデザインだと思います。

 尚、117クーペは、その後、マイナーチェンジを繰り返し、リヤのランプまわりが大きくなったり、
 ヘッドライトが、角目4灯になったりしながら、1981年まで、製造されたそうです。

 その後、117クーペは、1981年6月に「ピアッツァ」が登場した事で、生産終了。
 つまり、117クーペは、1968年12月〜1981年まで、合計 約12年間、生産されました。


づく。

12−2.

14.

15.

16.

17.

18.

19.風洞実験モデルだそうです。

20.このようなミニチュアを作って、風の流れを確認したそうです。

21.

22.

23.

24.

25.

26.

27.

28.

29.

30.

31.

32.

33.

34.

35.展示車両には、なぜか、ナンカン(台湾のタイヤメーカー)のタイヤを履いていました

36.リヤ・サスペンションを見てみると、板バネ式。

37.

38.

39.

40.

41.

42.

BACK
NEXT
MENU